代主義と相対峙すべき性質のものではなく、寧ろ流転止むことなき近代主義の気まぐれな一現象と見るべきもので、そこには、やゝ皮肉な矛盾をさへ発見するでありませう。
近代主義の立場から真に敵視すべきは、昨日の芸術に恋々たる保守的、退嬰的、微温的官学主義者であります。法則と軌範を墨守して知らず識らず因襲の虜となつてゐる似而非芸術家であります。
たゞ、われわれは、近代主義の溌剌たる魅力に心は惹かれながら、既に、その病根の憂ふべきを気づいてゐるのであります。
それは、自由と放縦、「新しさ」と「珍しさ」の混同、没批判から生じる病根であります。
幸か不幸か、演劇は、最も、「独りよがり」の許されない芸術である。それが一方、天才的飛躍を妨げる原因であると同時に、凡庸にして衒気ある野心家を自滅させることに役立つてゐるのであります。そして、聡明にして、「美を愛する」新時代の芸術家、わけても、節度と婉曲を尊ぶ仏国人の中から、進歩的なる点は、近代主義と結び、不変を求める点は、伝統主義に附くとも思はれる一部の新劇運動者が現はれたことは、寧ろ当然でありませう。
これが、前講『舞台表現の進化』並びに『演劇の本質
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