とわかり悪いかも知れません。もつと卑近な例を挙げれば、芸術そのものは「火」のやうなものであります。作品は「燃焼物」であり、鑑賞者は「熱」である。「燃焼物」にもいろいろあるやうに、「熱」にもいろいろある。或る「燃焼物」が、或る「熱」に会つて始めて「火」を発するやうに、或る「作品」も或る「鑑賞者」を俟つて始めて「芸術的価値」を生ずるのであります。
 とんだ芸術論になりましたが、この考へ方は、演劇といふ芸術形式を決定的に否定するものゝやうに思はれるのみならず、少くとも、大劇場主義の根柢に大きな不安を投入するものであります。
 しかし、これは、「美的感情」の極めて厳密な分析の上から立論した場合のことであつて、「芸術美」が「通俗美」または「自然美」から区別される一点に、それほど重きを置かないならば、演劇の芸術的存在も、固より、左程、悲観さるべきものではないのであります。それと同時に、演劇のみがもつ一種の牽引力が、偉大な舞台芸術家によつて、極度の抱擁性を与へられ、何時か大劇場主義者の夢想を実現する日が来ないとも限りません。「民衆」は当《まさ》にその日を待つべきであります。

       (二)本
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