て来ることも当然の結果であります。此の両者は、固よりその結果に於て、全然相容れないものとは思ひませんが、努力の焦点が何れか一方に偏することは免れない。そこで、これを別の言葉で云へば、小劇場主義と大劇場主義とになるわけであります。つまり、芸術的演劇は、小劇場に於て始めて実現し得るものであると主張するのが前者で、いや、芸術的演劇と雖も、大劇場で多くの観衆を満足させるのでなければ、演劇本来の存在意義に反する、大劇場の舞台に於て、ほんたうに芸術的価値を発揮するものこそ、真に偉大なる演劇であると主張するのが後者であります。
 こゝで注意しなければならないのは、今日まで、欧米各国に擡頭した芸術的劇団が、大抵は「小さな劇場」に拠つてゐた。観客席六百といふのが普通であり、中にはそれ以下の座席しかない小屋に拠つてゐたのであります。然しながら、これらを見て、直ちに、彼等が何れも「小劇場主義者」なりと断ずることは甚だしい誤りである。
 元来、小劇場運動といふ名は、「写実劇」乃至「自然主義劇」勃興時代に、当時の世間、殊に批評家たちが、いろいろの理由で、普通の劇場に拠ることが出来ない、つまり間に合せの小屋、ま
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