かし、そして、その「巧さ」に於て、見物を感動させることに成功するとしても、その役の、即ち、その扮する人物の思想、性格、感情、それ以外にわれわれを惹きつける「或るもの」は、所謂「物真似師」の芸以上には出ない性質のものであつて、それを厳密な意味で、芸術と称することはできないのであります。
 こゝに一つ例外ともいふべきものは、俳優が脚本の価値を実際の価値以上に高め得ることであります。かうなると、俳優はもう単なる俳優ではなくして、作者の領域に足を踏み込んでゐる。一作者の脚本を演出するといふだけでなく、一作者の脚本を改訂又は補足して、それを演じてゐることになるのであります。この事の良し悪しは別として、俳優にとつて、かういふことの出来る才能を持ち合はせてゐることは、大きな強味であると云はなければなりません。然し、これはどの程度まで許さる可きことであるか、それは頗る機微な問題であつて、一々、その結果を見て判断するより外しかたがないのであります。そしてこれは、俳優としての才能、技芸には全く関係のない、特異な場合であることを知らなければなりません。
 従つて、どの俳優にも作者の才能を備へよと要求するこ
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