轤ネいと思ひます。
 演劇の芸術的本質は、この意味で、戯曲の本質から一歩も離れることは出来ないといふ論理が成り立つと思ひます。
 上に述べた三つの異つた生命の「浸出」、作者と人物と俳優、此の三つの異つた生命が、群集の一人としての見物の魂に如何なる交感を誘起するか、そこから果して印象の統一が得られるか、純粋な芸術的感銘が生じ得るか、かういふ問題は、演劇の本質を戯曲の本質と結びつけて考へることに依つて、やゝ満足な解決が求め得られるのであります。
 舞台の上を流れる生命――それが仮へいくつの生命から成り立つてゐるものであつても――その生命を一つの生命として感じ得る時に、演劇の本質的な「美」が生れるといふことに注意しなければなりません。これは俳優にとつても見物に取つても必要なことである。作者の才能、作品の価値、俳優の技倆が、或る一点で渾然と融け合つてゐる、そこには、たゞ人生の真理を語る活きた魂の、諧調《ハアモニイ》に満ちた声と姿とがあるばかりであります。それは人間の凡ゆる感情の旋律であり、凡ゆる心理的表示の交響楽であります。此の舞台の幻象《イメージ》(眼と耳を通じて心に訴へる一切のもの)は見物
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