ェ如何なる人物を描いてゐるかといふこと、その人物が如何に描けてゐるかといふことは、その実、切り離すことの出来ない問題でありながら、これは、或る程度まで別々に論ぜられないことはない。
そこで、俳優はまづ作者が如何なる人物を描かうとしたかについて、はつきりした観念をもつてゐなければならない。これが演出批評の主眼点になるのであります。
作者が描かうとした人物と、俳優が扮してゐる人間との間に、或る隔りが生じるのは已むを得ないとしても、その隔りが如何に大きいか、そしてそれがどうして出来たか、これを見逃しては演出の批評は出来ない。
これがつまり、俳優の演技に二つの重要な基準を与へる動機になるのであります。
即ち、先づ作中の人物を理解すること、そして、その人物を自分の理性に当て嵌めて、それを活かす、肉体化する(Incarnation)こと、この二つの努力から、俳優の演技一切が生れる。
処で、俳優の技芸論は、別にこれをする機会があらうと思ひますが、こゝで戯曲の演出といふ問題を一層はつきりさせて置くために、そして芸術としての演劇を、単なる娯楽としての演劇から区別するために、俳優の最も意を用ひな
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