癆サ的興味、これは屡々その扮する人物から離れて考へられる問題であります。あの役者は丈が高いとか低いとか、顔が綺麗であるとか姿がどうであるとか、甚だしくなると、頤が長いとか、口が大きいとか、さういふ印象は、必然的に劇の興味に結びついて来る。俳優の箇癖も亦看過すべからざるものであります。
以上述べたやうな興味は、厳密に云つて演劇鑑賞の内容を形造るものではないに拘はらず、実際は、かういふ興味が一般公衆の注意を惹くことになる。
作者が如何に人生を観るか、これは必ずしも哲学的乃至倫理的の立場をいふのではない。従つてその点から云へば如何に立場を異にした見物も、芸術家としての作者の、人生に対する態度乃至希望、興味乃至幻想を理解し得て、始めて、その作品の魅力なり価値なりを味ふことが出来るのであります。
さうした上で、作者の企てが、どの程度まで成功してゐるか、作者の霊感が如何なる表現に到達してゐるか、つまり作者の戯曲家的才能がどれほど発揮されてゐるか、かういふ点に眼を向けるべきであります。
作中の人物が、それ自身として与へ得る興味は、作者の創造力と無関係にこれを論じることは不当であります。作者
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