Aといふやうな場合があり得るのに反して、その反対に戯曲として、劇として傑出した作品が、文学的に、価値の劣つてゐるやうな場合があり得るかといふ問題が起り得るかも知れない。
 かうなると、戯曲の或るものは、文学の一形式として存在を拒否して差支へないことになる。然しながら文学としての戯曲が他の文学の部門から分離する一点は、前章で述べた通り、文字の表現を通して、音、形及び運動(言葉及び動作)の表現を企図するところに在る。即ち、文字が文字そのものゝ生命から離れて、声及び動作の生命を暗示するところに在る。これは詩に於て、文字が文字としての生命を離れて、音声から成る韻律《リズム》及び諧調《ハアモニイ》の効果を企図してゐるのと少しも変りはないのであります。
 たゞ、これだけの理窟はつきます。つまり、戯曲の文学的価値は、文字によつてのみ表はされる「ト書」や、「舞台の説明」の中に於ても論ぜられなければならないのであるが、これは、戯曲的――劇的――価値と少しも関係はない。そんなものは、舞台上で演出された戯曲には、文学的表現として残つてゐない。なるほど、この説には一言もない。
 然し、これだけの理由で、戯曲と
前へ 次へ
全100ページ中56ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング