フ意味から転じた言葉である。
然しそれが必ずしも、「眼に見える動作」でなければならないことはない。
また「活動」とは「意志の動き」である。「意志の動き」は「障碍」に遭つて始めて表面に表はれる。故に、「劇」の本質は「意志の争闘」に在る。
或は「劇」は『最も「動き」に富む人生の一局部』である。即ち「事件」である。「葛藤」である。「危機」である。
「劇的《ドラマチツク》」といふ言葉の内容は、かくて「小説的《ロマネスク》」といふ言葉と同様、コンヴェンショナルな「境遇」を意味するに過ぎないやうになつたのであります。
実際、近代に於て芸術の各部門は、殆ど無制限にその表現の範囲を拡大しました。
「小説的《ロマネスク》」ならざる小説が、小説の本流とまでなつた。これは所謂「劇的《ドラマチツク》」ならざる劇の発生を暗示してゐるかも知れない。少くとも「劇的」なる言葉に、一層広い一層自由な内容を附与すべき時代を予想させます。
現にわれわれが、演劇と称へ得る、或はさう呼ぶより外、別の名称を与へられてゐない様々な舞台芸術が、従来演劇の本質と見做されてゐた要素と殆ど関係なく、立派に芸術的存在を主張してゐる
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