{の精神に合してゐるかゐないかについては、二人の意見は異り得るのであります。その場合、俳優は必ず舞台監督の意見に従はなければならないか、これは、もう相互の信頼程度によるもので、これを一概に定めてしまふことは危険を伴ふものであります。
 この機微な問題を解決するために舞台監督は、一座の首脳たる俳優で、その芸術的才能及び経験に於て、殊にその徳望に於て、他の俳優の畏敬する人物であることが最も便利なのであります。さもなければ、作者が舞台稽古に立ち会つて、舞台監督と俳優との異つた見解に判決を下すのがよろしい。俳優としての経験を実際に有つてゐない舞台監督が、その空虚な美学的理論乃至純客観的批判者の立場から、俳優の技芸を矯正することは、俳優の芸術、殊に演劇そのものに対する一種の冒涜であるとさへ云へます。
 然し、これは、俳優と称し得べき俳優に対する場合のことで、俳優自身がその技芸に対する十分の自信もなく、舞台監督もこれに対して相当の信頼を置き得ない場合は、これは別であります。舞台監督が教師の役目を兼ぬることは、一つの例外であると思はなければなりません。
 舞台監督の役目は、かう詮じつめれば甚だ軽いも
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