ウうなつてゐないことがある。これまた、俳優芸術に完全性が欠ける理由であります。勿論公演に先立つて、十分の用意はするのであるが、人にも見て貰ふのであるが、それをそのまゝ舞台の上で実行してゐるかどうかは、或る程度までしか自分にはわからない。非常に厳密な論じ方のやうであるが、高級な芸術ほどそれ自身に、そこまでの完全性を備へてゐなくてはなりません。
 かういふ見方から云へば、演劇は、たとへ優れた脚本を、優れた俳優が演出するとしても、どこかに、また、ある分量の欠陥、不備、不純さを免れないものだと云へるのであります。さうなると、他の芸術が、勿論理想に於てゞはあるが、完璧であり得るに比して、演劇は理想としても、さういふことは望まれない。まして俳優以外に、色々な物質的条件が附き纏つてゐます。舞台装飾、見物席の設備、さういふものが演劇鑑賞上に、どれだけ不幸な影響を与へてゐるかは、思ひ半ばに過ぎるのであります。

       舞台監督について

 俳優が、単独に自分の技芸を規正することが困難であるところから、殊に、俳優相互の関係から成り立つ舞台効果に相当の注意を払はなければならないところから、そしてなほ
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