煙革新運動の顕著な傾向は、後に詳しく述べるつもりですが、決して上述の理論を裏切るものではありません。
 繰り返して云ひます。演劇に於ける脚本の位置を正当に認めることは、右の理由によつて、演劇の芸術的覚醒を促す第一歩であります。

       演出について

 脚本の演出者は、云ふまでもなく俳優であります。如何なる名脚本と雖も、演出者にその人を得なければ、演劇としての価値を十分発揮することは出来ない。これは自明の理である。それならば、優れた演出者には、どういふ資格が必要であるかと云へば、先づ……俳優論をこゝでするわけには行きません。だから、これは別の機会に譲ることゝして、こゝでは、たゞ俳優が演劇に於て如何なる位置を占むべきかといふこと、更に芸術家としての俳優の職分について、はつきりした観念を作つて置きたいと思ひます。
 前項で述べたやうに、優れた脚本の完全な演出以外に、優れた演出といふものを予想することは困難でありますが、然し才能ある俳優が、様々な事情で、平凡な、時によると愚劣な脚本の演出を余儀なくせられ、而も彼が才能ある俳優であることを十分認めさせるばかりでなく、屡々、平凡な脚本に一種不可思議な魅力を与へ、愚劣な脚本にさへ一味の生命を盛ることに成功して、恰も、演劇の価値は演出者たる俳優の才能によつて左右されるかの如き観を呈することがあるのであります。処で、かういふ場合に、その演劇が演劇として果して芸術的に、どれだけの価値があるかといふことを考へて見なくてはなりません。こゝで俳優の技芸の独立性が問題になるのであります。こゝからまた俳優のための脚本、俳優のための見物、俳優のための劇場、つまり、俳優のための演劇が生れるのであります。
 俳優の技芸が、実際、独立性を有つてゐるものならば――勿論芸術的に――俳優のための演劇、誠に結構であります。然し、事実は、全くこれに反する。これは証明を要する問題であつて、而も、その証明は一寸困難である。なぜならば、それは勿論、程度の問題であるからであります。これは実際に見ないと結局水かけ論になりますが、例へば、仏国当代の名優リュシャン・ギイトリイは、息子サシャの書いた脚本なら何んでも演つてゐます。父子の情、誠にはたの見る眼もうるはしきことながら、サシャは何んと云つてもまだ大劇作家ではない。佳作も少くないが、未完成な作品もなかなかある。リュシャンは、相当にそれを活かしてゐる。のみならず、リュシャンの扮する役だけ見てゐれば、その人物の表現は恐らく批難の打ち処がない。が、しかし、その芝居が全体として、芸術的の感銘を与へる程度は、即ち、その演劇の芸術的価値は、何んと云つてもその脚本の価値によつて、根本的に左右されないわけに行かない。処で、彼が一度モリエールの『人間嫌ひ』に於て、主人公アルセストに扮するや、そのアルセストは、否『人間嫌ひ』といふ芝居は、「天下の見もの」となるのであります。
 それはやつぱり、リュシャン・ギイトリイが偉いからに相違ないのであります。それなら此のアルセストの役を、凡庸な俳優が演つたらどうなるか。そのアルセストは面白くない。『人間嫌ひ』といふ芝居は見るに堪へないものになる。が然し、こゝで考へなければならないことは、それがために、傑作『人間嫌ひ』は、飽くまでも傑作『人間嫌ひ』であることに変りはなく、天才モリエールは飽くまでも天才モリエールであることであります。
 此の事実から推しても、俳優の技芸は、それ自身に芸術たる要素を備へてゐるといふ考へは、間違つてゐるやうに思ひます。才能ある俳優が、或る役を十分に活かし、そして、その「巧さ」に於て、見物を感動させることに成功するとしても、その役の、即ち、その扮する人物の思想、性格、感情、それ以外にわれわれを惹きつける「或るもの」は、所謂「物真似師」の芸以上には出ない性質のものであつて、それを厳密な意味で、芸術と称することはできないのであります。
 こゝに一つ例外ともいふべきものは、俳優が脚本の価値を実際の価値以上に高め得ることであります。かうなると、俳優はもう単なる俳優ではなくして、作者の領域に足を踏み込んでゐる。一作者の脚本を演出するといふだけでなく、一作者の脚本を改訂又は補足して、それを演じてゐることになるのであります。この事の良し悪しは別として、俳優にとつて、かういふことの出来る才能を持ち合はせてゐることは、大きな強味であると云はなければなりません。然し、これはどの程度まで許さる可きことであるか、それは頗る機微な問題であつて、一々、その結果を見て判断するより外しかたがないのであります。そしてこれは、俳優としての才能、技芸には全く関係のない、特異な場合であることを知らなければなりません。
 従つて、どの俳優にも作者の才能を備へよと要求するこ
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