ふかも知れぬが、常に有機的な関連をもつばかりでなく、現実に、如何なる文化部門の職域機構も、政治の対象とならないものはなく、また経済活動を営まないものはないのである。これは相互に同じことが云へるのであつて、例へば経済面から貯蓄運動といふものが考へられる。この運動は国民精神の昂揚に俟たねばならぬ。そればかりではない。消費生活の技術的工夫によつて一層効果を挙げ得るであらう。従つて、娯楽とか休養とか、身嗜みとか知識の涵養とかいふ問題を無視することはできぬ。否寧ろさういふ点が解決されなければ、絶対に永続的な貯金運動は不可能である。さうなると、貯金運動は先づ文化運動の形で進められるのが最も適当だといふことになる。わざと逆説を弄するわけではない。政治や経済を文化から引離さうとする指導者たちの注意を喚起するために、「文化」といふものの「在り方」を説明したまでである。
そこで、文化機構の整備統制は、先づ、少くとも、文化機構の全貌を把握し、これを一元的に企画運営し得る政治機関を必要とする。政治機関なるが故に、行政機関の如く、自己の所管に没頭することなく、十分に、戦局の推移と国内経済の事情を考慮に入れ、官庁予算といふが如き形式でなく、重点的に、重要文化問題の解決に必要な国費を充当する。もちろん、これに伴ふ民間の資力も活用すべきである。
一方、民間のあらゆる文化職能人は、自主的に先づ専門別の統合団体を結成し、更に、これを横に連結する協力態勢を整へる。専門別の統合団体のみでは、必要な活動はできないのみならず、いはゆる専門割拠主義の弊に陥つて、文化陣営の歩調が揃はぬこと明白である。
芸術部門だけについて考へれば、文学、美術、音楽、演劇、映画と大別することができるが、この五部門の有機的交流と相互協力の実を挙げるところから、現代日本の芸術維新が生れ、芸術家の文化戦士たる資質が錬磨されるのである。このことを詳述する暇はないが、これは決して、一個人が、文学にも美術にも音楽にも、その他何れにも趣味をもつといふやうなこととは断じて同じでない。
芸術の制作或は芸術品の普及頒布を業とするものが、自己の利益を擁護するためでなく、真に、戦ふ国民としての自覚と、力強き芸術への愛によつて結びつき、それぞれ専門の領域に於て全能を尽すといふことは、結局、他の専門部門の停頓萎靡を黙視し得ざることであり、また、その最
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