。帰つてくれ。伊太利へでも何処へでも飛んでつてくれ。

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さう云ひつゝ、目笊を開けようとする途端、表に声がする。――『御免』
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飛田  (目笊をそのまゝにして、玄関へ出る)どうぞ。

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宗匠風の、又はそれを気取つた老人がはひつて来る。
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老人  突然、誠に失礼ですが、お宅では、鶯を飼つておいでになりますでせうか。
飛田  (驚いて)はあ、いゝえ、実は、今、そこにゐましたら、外から部屋ん中へ飛び込んで来たもんですから、つかまへて目笊に伏せといたんです。
老人  それでは、ちよつと、そいつを拝見さしていたゞけませんでせうか。実は、只今、餌をやつてをりますと、何に驚いたのか、いきなり籠から飛び出しまして、なんでもこちらの方角へ飛んで参つたんです。不断、非常に手前には馴れてをりますし、そんなことは決してなかつたんですが、どうしたものですか、今日に限つて……。
飛田  あゝ、さうですか。それは御心配でしたらう。今、鳴いたのをお聴きになつたんですね。
老人  えゝ、それがもう鳴き声を聴きましたゞけで、それといふことはわかりはいたしますんですが、いきなりさう申上げるのも失礼と思ひまして……。
飛田  いや、もう僕の方は、そんなに遠慮をしていたゞかなくつても、どうせ誰かに持つてつて貰ひたいくらゐですから……。

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老人と飛田とは協力して目笊から籠に鶯を移す。
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老人  どうも、誠に有りがたう。これでどうして、その道の人にかゝつたら、この鶯、わたしの手には戻りません。これでも、人はなんと申しますか、わたしとして一番丹誠をしてこゝまでにした鳥ですから、今逃げられては浮ばれませんや。去年の品評会には、お蔭で一等を取りましてな。あなたのお人柄を見込んで申上げるんですが、これで時価三百円といふ代物です。やあ、どうも、ほんとに助かりました。何れ改めてお礼に何ひますが、わたしは、あの原の向うにをります宇部と申す隠居でございます。
飛田  (なんと返事のしやうもなく、たゞ、相手の一言々々に頭を下げてゐる)
老人  では、御免下さい。お宅には二つ表札が出てをりますやうですが、あなたは……。
飛田  僕、飛田の方です。
老人  はあ、トビタとお読ませになりますか。なるほど、や、それでは……。

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老人去る。
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飛田  (再び座に帰り)三百円か。えらい鶯もあればあるもんだなあ。あの鳥が紙幣《さつ》かなんかなら、一寸悪心を起すところだ。やれやれ、紙幣《さつ》に羽根が生えたとはこのことを云ふんぢやないかな。

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そこへ底野がぶらりと帰つて来る。
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底野  やつぱり外は、広すぎて落ちつかん。木ならば鉋をかけた木でなけれやおれの性に合はん。
飛田  カマボコの称ある所以だ。中学で羽目板の前に立たされたことが、抑も貴様の一生を決定したんだ。
底野  おい、トンビ、兄貴のどれかにさう云つてやつて、また五円ばかり送らせろよ。おれの方は、月末まで、まだ三週間以上間があるぜ。
飛田  惜しい話をしてやらうか。おれは、さつき三百円つていふ……ものをだよ、この手の中に握つたんだ。
底野  巫山戯《ふざけ》るない。出してみろ。
飛田  それが、もうないんだ。人が持つてつた。
底野  なんだい、一体、そのものつていふのは……。
飛田  鳥だ。
底野  三百円の鳥? 手の中へ握つた? 夢かい。
飛田  夢でも幻でもない。なるほど、あの声を聴いた時、これは曲者だと思つたよ。日本一の名鶯《めいあう》だ。
底野  メイオー? オーは……。
飛田  鶯だ。
底野  それが?
飛田  そこから、かうだ。それで、これだ。(外から飛び込んで来て、それを捕へた有様を手つきで示す)
底野  それで、これとは?(指を三本出してみせる)
飛田  これが、かう、かう、かう、かうさ。(老人が来て、見て、受け取つて、帰つたといふ恰好をする)
底野  なんだい、わからん。
飛田  飼主が、声を聞きつけて、受け取りに来たんだ。
底野  無条件で渡したのか?
飛田  条件はつまり、その、糞なんかたれないうちに持つてつて貰ふといふだけさ。
底野  だから貴様は、外へ出てろだ。
飛田  そいぢや、カマボコだつたら、どんな条件をつける。
底野  三百円の代物なら、一割乃
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