社会的失敗者をもつて任じてしまふからである。いくぶんの諦めは、その感情を次第に押しこめてしまふであらう。しかしながら、生涯を通じて、事ある毎に、「学校」にからまる卑下の感情は、社会的成功といふ誘惑的な言葉と固く結んで離れる時はないのである。この不幸は、既に、早ければ十四歳、遅くも二十歳に於て、宿命的なものとなるのである。少数の犠牲ならまだしも国家としては忍ぶべきである。しかし、犠牲は国民の大多数なのである。訴ふるに由なきこの災禍は、現代日本の社会をどれだけ陰鬱なものにしてゐるか、これは想像にあまりある事実である。
 罪は、教育制度の欠陥と、教育者の不見識にあることもちろんであるが、その上、国民教育の根本精神のなかに、人間の価値、生活の意義についての、やゝ時代錯誤的な観念がひそんでゐることを見逃すわけにはいかぬ。
 一口に云へば、日本国民の資格において、あまりにも「肩書」が物を云ひすぎるのである。職業に貴賤なしと教へながら、職業以外に自己の生活の恃むべき拠りどころがないから、自然、職業的習癖によつて人物の品質が決定されてしまふのである。
 国民の国家と社会への奉仕は、その全人格によつてな
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