るところあるを疑はぬ。
私個人の意見をもつてすれば、国民全体の「武人化」などゝいふことは、理想として芳しくないと思ふ。「軍人として戦ふ」といふことは、一旦緩急ある場合、わが国民のすべてに課せられた義務であるけれども、「武人として」その他の職業に携るといふことは、まつたくと云つていゝくらゐ無益のことである。軍人には、それゆえ専門家が必要であり、専門家は、専門家として欠くべからざる技術と精神とを体得してゐればそれでよい。この技術と精神とが、短時日に、招集に応じた国民のすべてを「兵力化」する技術と精神なのである。しかるに、わが国の現在の教育は、国民としての嗜みといふ点、男子としての心身の鍛錬といふ点、社会秩序の遵守といふ点などで、当然払はれなければならぬ用意が閑却され、それが偶々専門的軍人の社会に於ては、その教育のある種の聡明さによつて、所期の結果を挙げてゐるのである。決して専門的ならざるその世界に於て、青年指導の一つの模範が示されてゐるといふことは、あながち軍人贔屓の説ではないと思ふ。
が、私は更に、軍人ならざる社会の人々にも次のことを希望したい。
軍人に対する時、そのうちにはこれを「一般人」の風習からみれば、いくぶん同感しがたい節々があつたやうな場合でも、これを直ちに「職業意識」なりと考へる前に、やはり、軍人といふ職分を理解し、それに値する光栄と満足とを十分に享受せしめる同胞的情誼がなくてはならぬといふことである。
戦線にある軍隊への銃後国民の感謝は、もはや今日、絶頂に達してゐる。そこには将士の別もなく、功績の大小も問題ではない。われわれは均しく「戦ふ人の心」を尊しとし、その労苦を偲び、戦勝の報に胸を躍らし、護国の霊に拝跪する。しかしながら、戦闘は有能な指揮者なくして利を得ること難いのであつて、帷幄の謀も、軍政の運用もまた前線兵力の死命を決する要件なのである。
現在及び将来の日本は、それを好むと好まざるとに拘はらず、深慮ある政治家と機略に富む武官との合体によつて、国防国家としての全機能を完備しなければならず、そして同時に、首相の声明にもあるやうに、軍官民の強力な提携のみが事変処理の鍵であり、社会各般の改新と活溌な進展とをもたらすものだとすれば、この、軍部、官僚、国民の三者が、ただ強制的、便宜的、形式的な結合だけで事足れりとするやうであつては、悔いを千歳にのこすこと必定だと信ずるが故に、嘲か私は歯に衣きせぬ物の云ひ方をした。不安と不信との内訌は百の論争より危険だからである。
六
以上の希望は、すべて、私が一国民としてこの祖国に大きな期待をかけてゐるところから生れたのである。日本人は、如何なる民族をも襲ふところのかの重大な危機を、幾度となく、危機と知らずして切り抜けて来た、云はゞ「無意識的に偉大な」民族なのである。われわれは、自分たちの力を、今こそ、最も積極的な目的のために統合し、日本を名実ともに正しい美しい国にするといふ理想の上にたつた、自覚と情熱とを互に持ち合はねばならぬ。
この文章はなにひとつ新しい説を掲げてはゐない。すべて心ある国民の胸裡に鬱積し、それを公に云ふことの無益なりとする考へが彼等をたゞ黙さしめてゐるのである。
私はさういふ考へをいさゝか疑ひはじめた。少くとも、腹ふくるゝが故にのみ、あへてこれを書きつらねたのではない。(昭和十五年九月)
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日発行
初出:「改造 第二十二巻第十六号」
1940(昭和15)年9月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月21日作成
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