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女中のきぬが、そうつとはひつて来る。医者から、すべてを聞いたらしい。
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きぬ 旦那さま……。
卯一郎 (その声が聞えぬらしく、切《しき》りに藻掻《もが》いてゐる)
きぬ (のぞき込み)旦那さま……。
卯一郎 誰だ……あゝ、お前か……大丈夫だ……。心配するな……。さ……さ……さすつてくれ……胸だ……。(きぬが卯一郎の胸をさすりはじめる)
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その時、妻のとま子が帰つて来る。
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とま子 (自分の部屋から、この様子をみて)お前、こゝにゐたの。さ、もういゝよ、あたしが代るから……。それより、干物《ほしもの》がどうなつてるかみといで。みんな風で飛んぢまつてるから……。(女中、そつととま子の耳元で何か囁かうとする)いゝよ、いゝよ。わかつてるよ。いゝつたら、なにさ、そんな大仰《おほぎやう》な顔つきをして……旦那さまのことだらう、ちやんと知つてるよ……。(女中、しかたがなしに去る)どら、またはじまつたの。今、すぐね。ちよつと着物を着替へてからね。それくらゐ我慢できるでせう。あたし、何処へ行つたか、あてて御覧なさい。(着物を着替へはじめる)いゝこと……。お土産《みやげ》を買つて来たわよ。それも当てるのよ。途中のお話だけ、先へするわね。今日はタクシイを奮発したの。怒つちやいやよ。素晴しい車だつたわ。定紋つきよ。それが、里の紋なの。丁度……。上り藤よ。その運転手がまた、ちよつと、あんたに似てるのよ。
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卯一郎は、頭をひよこりと上げ、このまゝ、再びあを向けになつてしまふ。
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とま子 変な気がしたわ、あたし……。聴いてる、あんた……? つまんない、こんな話……? ぢや、よすわ。それから、あゝさうだわ。あたし、こまかいお金がなかつたの……。困つちやつて、その運転手に、おつりがあるかつて訊《き》いたのよ。さうしたら、どうでせう……。「百円ぐらゐなら、あるでせう」ですつて……。(着物を着替へ終り、卯一郎のそばへ近寄る)あら、いやなひと、そんな顔して聴いてたの。よう、およしなさいつたら、そんな気味の悪《わる》い眼附……
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