伊賀山精三君の『騒音』
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)襞《ひだ》
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伊賀山君の『騒音』を、最初読んで聞かされた時、僕は、いきなり、たうとう伊賀山君も、作家らしい作家になつたといふ気がし、この戯曲のもつ「真実性」が、単なる見せかけのものでないことを信じたのである。
写実主義も、ここまで生活と心理とを追ひつめれば、はじめて、一種の厳粛さを感じさせる。また一方、これだけでは「舞台的」になんとなく物足らぬ点もないではないが、さういふ程度の写実主義が、実際、劇的作品の中に感じられたことだけでも、日本の新劇史を通じて、特筆さるべきものであると僕は考へる。
映画人といふ「現代的タイプ」を捉へて、一見新しくもなささうな「心理」の解剖を試みてゐるのだが、生活描写にも相当の観察があり、殊に、「心理の襞《ひだ》」に食ひ入る執拗さに至つては、聊か日本人離れがしてゐるくらゐで、ここが戯曲家として、今後、伊賀山君の独自性を示し得る点であらう。
この執拗さは、時によると、戯曲のスタイルを散文的にしてゐるが、登場人物の組合せに現れた作者の好みと共に、作品全体を
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