の種の考察は、なんといふか、賛成するのも気がひけるし、反対するのも大人げないといふ気を起させる類ひのもので、洋画に心酔するものでなくても、さうまあ、日本画の肩ばかり持つてなにになるのかと人ごとながら心配になるのである。
 芸術家といふものは全権大使でも軍司令官でもないのであるから、別に「大人」でなければならぬといふわけあひではなく、「学生」も立派に国民の一階層であり、寧ろ、遠き将来のことを思へば、若いといふことだけにでも期待をもつべきで、少し日本画の歴史を知つてゐるものなら、日本画の今日あること、即ち、日本文化を代表して世界的価値を主張し得ることは当然だと肯くであらうし、やがて数百年の後には、洋画の流れもそこに行きつくであらうといふ見透しぐらゐつけてほしいものである。
 序に、この論者はなにを証拠に文芸の畑では日本的なものを軽蔑してゐると断じるのであるか、私には更に見当がつかぬ。云ふまでもなく、西洋文学の翻訳移入、並びに、西洋作家の模倣追随さへ、日本文学を育て豊かにする目的以外にないことを文学者の一人と雖も弁へてゐない筈はないのである。
 但し、日本の古典に対する教養の不足を責められゝ
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