、しかし、そんなものは結局血肉とまではならぬ衣裳であり、仮に血肉の一部となつてゐたにせよ、それ以上の深さと力とをもつてわれわれの生活の枢軸を動かすところのものは、やはり、東洋的、日本的教養の重積である。ところが、この東洋的、日本的教養なるものゝ正体は、これを今日の言葉で「文化」と呼んでは、なにか少し的が外れるやうなところがあり、三枝氏が、それは「道」であると云はれゝばなるほどさうかも知れぬとは思ふが、しかし、それはまだ私の考察の力では断定がつかぬ。或は「嗜み」といふ言葉など当らぬであらうか?
それはさうと、小川正子女史の「小島の春」といふ本を、私も大へん面白く読んだ。これについては近く纏つた感想を書く筈になつてゐるが、たゞ、この珍しい手記のなかで、やはり、「日本人」の問題をとらへることが私には容易であつた。つまり、日本には今なほどうして癩患者がそんなにゐるか、そして、それに対する国家的、社会的施設がなぜそれほどおくれてゐるかといふ疑問、――寧ろ憤慨に似た気持のうらで、それは、なるほどかういふ「特別な事情」があるからだといふ安心が私を救つたのである。しかも、その事情とは、日本人が必ずしも「非文明」のそしりを受けなくてもいゝ、実に悲壮とも云ひうるある種の優しい感情の発露なのであつて、癩の問題に限つて云へば、少くとも、過去に遡つて日本人の社会道徳を云々する資格は、世界の如何なる開化民族ももつてはゐないことを保証し得る材料がこの書物のなかにあふれてゐるのである。
それゆゑ、これは、日本にゐる西洋人のすべて、並びに、世界の癩研究家、救癩事業家のおのおのに是非この一本を読ませたいものだと思つた。が、しかし、今日以後、かゝる状態が一日でも続くことは、もちろん、日本の恥であり、もはや日本人を弁護する何等の理由も存在しないことを、遺憾ながら、こゝに特に声を大にして同胞の前に叫ばなければならぬ。(「知性」昭和十四年二月号)
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「現代風俗」弘文堂書房
1940(昭和15)年7月25日発行
初出:「知性 第二巻第二号」
1939(昭和14)年2月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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