弁生活をはじめた時代である。処女作の出版を断はられた時代である。
 細君はマリネツトといふ愛称で呼ばれ、十年の糟糠の妻は、彼の眼に常に新鮮であつた。
 彼は彼女を芝居に連れて行つて、さて云ふ――
「マリネツトもまた、彼女の楚々たる装ひに於いて成功した。レースにくるまつて、しとやかな共和の女神のやうだ」と。
 彼はまた、一座の女たちの露骨な話題にうち興じてゐるなかで、自分の細君がどんな風かといふのを、「退屈しきつた純潔さ」と見るのである。
 大概の男がかういふことを云ふと、常にどこか「甘く」なるものである。さう感じることが決して甘いのでもなく、感じたらそれをその通り云つて、これまた必ずしも甘いわけではないが、さう感じる感じ方、それを云ふ云ひ方のなかに、ある種の隙が生じるのである。
 さういふ隙が、生活の全体をふくらましてゐる場合があり、それが人間の愛嬌のやうなものにまでなつて、時には底の知れない深みを与へることがある。露西亜人などにはさういふ傾向が多い。
 それが、仏蘭西人、殊にその中でも、神経の塊りのやうなこのルナアルの細君礼讃振りには、普通にいふ「甘さ」といふものは微塵も感じられず、
前へ 次へ
全9ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング