のです。
当時のフランスの浪曼派の詩人達は、イギリス乃至ドイツの詩風に動かされてゐたのですが、シェイクスピアには特に傾倒してゐて、Alfred de Vigny の如きは、「オセロー」や「ヴェニスの商人」を翻訳してをり、Alfred de Musset――これは今日フランスの劇作家として代表的な作家でありますが――これもやはりシェイクスピアに負ふところが非常に多いのであります。ミュッセの書いた物には必ずシェイクスピアの名前が出て来る。で、ミュッセは、十七歳で文学者にならうと志望し、宣言のやうな物を書いてゐますが、その中に、俺はシェイクスピアたらざればシルレルたらんといふことを言つてゐます。彼れは二十歳で初めて戯曲を書いた。「ヴェニスの夜」といふ戯曲です。この作のエピグラフに、「オセロー」の中の文句を書き入れてゐるくらゐです。が、ミュッセは、その後フランスの古典を研究した結果、自国の大作家ラシーヌに対しての理解が深まるとともに、それに傾倒したものの、なほシェイクスピアに対する崇拝の念を捨てることが出来ず、否、ラシーヌを読むことによつて、一層シェイクスピアの長所がわかつたといふ風に、そこ
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