評家、殊にフランスのアカデミックな批評家からは、可なりの嘲笑を以つて迎へられたのでした。
どういふ点が気に入らなかつたかといふと、「リヤ王」に属する悲劇、「リヤ王」を一つのタイプとする悲劇に対する趣味の相違からです。ファゲによれば「リヤ王」はシェイクスピアの中の駄作だ、なるほど、ところどころいゝところもあるが、要するに一個のメロドラマたるに過ぎない、この作者は、一方で、世界中の誰も真似の出来ないやうな物を書いてはゐるが、「リヤ王」だけは誰にでも書ける、俺にでも書けると云はんばかりな顔をしてゐます。
それから二十世紀のフランスの新劇運動では――既に御承知と思ひますが、例へば、〔Ge'mier〕 といふ役者は、「じやじや馬馴らし」「ヴェニスの商人」等をやつてをり、例のヴィユー・コロンビエのコポオは、「冬の夜話」や「お気に召すまゝ」等をやつてゐます。この二人はフランスの最近演劇の中心人物でありますが、二人とも大のシェイクスピア党であります。
次ぎに、注意すべきは、かういふ演劇の実際運動に携はつてゐる人達ばかりでなく、文学者間にも、以前にもまさるシェイクスピア熱が勃興してゐることです。まづ第一に、〔Andre' Gide〕――この人は、シェイクスピア党の親方といつてもいゝ位で、その評論中にシェイクスピアを讃美してゐるばかりでなく、「アントニーとクレオパトラ」や「ロメオとジュリエット」を翻訳し、なほ幾つかの自作脚本――例へば「サユル」或は「ウヂイプ」などの中にも極めて濃厚なシェイクスピアの匂を漂はせてゐます。
大戦後は、皆さん御承知の如く、フランスで僅々二三年間ではありましたけれども、新劇連動の非常に盛んな時代がありました。それはちやうど私がパリに行つてゐる頃でしたが、その頃のシェイクスピア熱といふものは、殆んど彼れはフランスの古典作家であるかのやうでした。
以上で、ざつとシェイクスピアがフランスに入つて以来の動静をお話したわけであります。最後に申し添へたいことは、そもそもフランス人は果して能くシェイクスピアを理解し得るか、といふことであります。フランス人と一概に申しても、中にいろいろな性格の人間がありまして、その感受性にも、想像力にも、等差があります。但しフランス人の著しい性癖は不自然を嫌ふといふことと、物を先づ分析してかゝるといふことです。この二つの性癖が、シェイ
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