ァルスの「種」を拾ひ出すことがあるだらう。それと同時に、ファルスと銘打つた作品の中にも、一般に喜劇的《コミツク》と呼ばれる要素が、取り入れられてあるに違ひないのである。畢竟、喜劇は「笑劇的」な要素を主とせざる喜劇である、笑劇は、「笑劇的」な要素を主とする喜劇であるといひ得よう。
それなら「笑劇的」な要素とはどんなものかといへば、それは、先づ第一に、「道化味《ビュルレスク》」である。「道化味」の本体は「おどけ」と「ざつくばらん」と「きはどさ」である。
ファルスが卑俗なもの、猥雑なものとされ易く、又実際、さうなりがちなのは、この「道化味」が、月並で、浅薄で、低調だからである。
ところが、かの、ラブレや、ヴィヨンや、スカロンや、シェイクスピイヤや、ゴオゴリや、カルデロンや、モリエエルや、これらの連中が、その数ある傑作の中に盛つた「ビュルレスク」は、時に取り澄ました紳士淑女の顔を赧らめしむることはあつても、決して、真実を悦ぶものを顰蹙せしめるやうなことはないのである。
例をもつと近く取れば、クウルトリイヌや、ロスタンや、ショオや、アイルランド作家の多くや、ジュウル・ロマンや、ベルナアル
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