恐らく文学的にはその下位にありと思はれるベルナアルを加へたことは、彼の作品が、喜劇の様式として一つの特殊な類例を示してゐるからでもあるが、ただそればかりではなく、彼の作品中に描かれてある生活が、案外、他の作者によつて取扱はれる機会が少く、従つて、われわれ外国人の新たな興味を惹くに足ると信じたからである。

「自由の重荷」は千八百九十七年にジェミエの手で制作劇場の舞台にかけられた。彼の作品としては比較的芸術味に富んだものの一つである。此の喜劇の形式は、寧ろ、ファルスと呼ばるべきものの要素を多分に含んでゐて、それも中世の笑劇《ファルス》、例へば、「代言人パトラン先生」などと共通な味ひをもつてゐる事は何と云つても見逃すわけに行かない。それはまた我国の狂言風なものにも通ずる原始的な、素朴な道化味である。
「懐を痛めずに」(一八九八年)――これは原作の表題を直訳すると「ロハの御馳走」とでも云ふのだが、頗る他愛ないスケッチ劇で、一寸した思ひ附きをあれだけ活かした所が面白い、勿論、傑作とは云へないし、ただ、「都合で」此の作品を選んだに過ぎぬが、さうかと云つて、此の作者の他のものを一つ選び出す事は中々
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