た「二十六番館」を観て、演出者が戯曲の「最短距離」を選んだ怠慢を攻撃してゐたが、今度は「我家の平和」の演出者(若し演出者に罪があれば)は、この「脚本の指定する道」を避け、わざわざ迂回の労を取つたことに落度があつた。どうか、常に、演出者は、「不必要」な道草を食はないやうにして欲しい。指定があつてさへこれである。厳密に云へば、一とせりふ一とせりふ、その言ひ方と「間」の取り方に私は文句をつけたかつた。トリエルが、「おやおや、おや……」といふ白がある。これを、「やれやれ」に近い意味、即ち「おやおや、たうとうこんなことになつた」といふ時の「おやおや」にしてしまつてゐる。前後の関係で、決して、さうはとれない。「おやおや、さうぢやないのか。これは意外なこともあればあるもんだ」といふ「おやおや」で、云ひ方は、アクセントを、「や」の方におけばいいのだ。これは、勘違ひといへばそれまでだが、「白《せりふ》」に対する普通の感覚で解決もつくし、意味はそのつもりで「言ひ方」を間違へたとすれば、「物言ふ術」の初歩から出直さなければならなくなる。こんなことは、揚足取りでもなんでもない。殆ど一句一句について、もう少し研
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