ウブウロシュ」が空前の成功裡に最後の幕を閉ぢて以来、クウルトリイヌの名は突如として巴里劇壇の注意を惹いた。それにも拘らず、当時の頑冥な批評家(多分サルセエだと思ふ。何故なら此の「批評壇の明星」は、当時屡々斯くの如き態度をもつて新進作家を遇してゐる)は彼の戯曲を評して「脚本になつてゐない脚本」と嘲り、又「些かも芝居のコツ[#「コツ」に傍点]を心得てゐない代物《しろもの》」と片附けてゐる。
実際彼の作品は、多くは「劇的スケッチ」とも称すべきもので、所謂作劇術の定石を無視した「人生の断片」であり、何よりも先づ「生きた人間」を描くことによつてのみ、舞台の「動き」を与へようとする自由劇場式戯曲である。そして、それはまた同時に、仏国近代劇の著しい転向を物語るものである。
ラシイヌによつて始められた心理解剖劇の伝統が、ポルト・リシュに至つて近代的色彩を与へられたとすれば、モリエールが開拓した伝統の一面、ヂナミスム(動性)を基調とする諷刺喜劇の流れは、クウルトリイヌによつて、近代的ファルスの典型を示した。
彼は、モリエールの如く、性格的「型《タイプ》」を創造することはできなかつたが、現代社会を形
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