的なところがあり、性格もひねくれてゐるといふ、日本でなら、「縮れ毛」の女はなんとかだといふやうな例に似てゐるが、ルナアルは、元来此の小説を殆ど自叙伝として書いたものである。
彼は実際に生みの母親を嫌ひ、同時に父親にも懐いてゐなかつたことを、その日記の中で明かに告白してゐる。此の戯曲の中でも、母親の描写には多分の主観が交り、その点ルナアルの作品としては、珍らしく感情の露骨さを見せたものであるが、かれの自伝の一節としてこれを観る時、いろいろな暗示を受ける。
殊に、彼が「沈黙の詩人」であることは、彼の戯曲のみを読む時、この一作がなかつたら、普通の読者には理解し難いであらう。例へば「赭毛」のルピック氏は、モリエールの「人間嫌ひ」アルセストと共に、仏蘭西劇中、稀に見る寡黙な人物であり、然も、その寡黙を仏蘭西流に描いた好典型である。
ルナアルは、千九百十年の春、四十六歳で死んだ。彼は、その日記の最後の頁に於て、病床に横はる己れの無慙な姿を顧みて「赭毛」時代の如しと云ひ、将に終らうとする生涯に皮肉な微笑を投げかけてゐる。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月
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