も愚かなる衒気と見えるやうな人物が可なりある。それに、作品そのものは極めて才気煥発といふ感じがする。極めてスピリチュエルである。これは、作中の人物を透して、作者の機智が光つてゐるのである。人物の言葉に耳を澄ましてゐる作者の目――その目つきが、人物以上に物を言つてゐるのである。これは、ルナアルに限らず、優れた喜劇作家の目附である。繊細な心理喜劇が往々浅薄扱ひを受けるのは、此の「作者の目」が見逃され易いからである。
ルナアルは断じて浅薄な作家ではない。
「赭毛」(Poil de Carotte)は、彼の同題の小説から材を取り、千九百年三月、アントワアヌ座で上演された。
ルピック氏の役はアントワアヌ自身が買ひ、「赭毛」にはシュザンヌ・デプレ夫人が扮し、文字通り芸術的舞台の標本を示した。
現在では、国立劇場コメディイ・フランセエズの上演目録に加へられてをり、ベルナアルとボヴィイの当り芸になつてゐる。
「赭毛」といふ訳語は山田珠樹君流で、名訳に違ひないが、原名を直訳すると「人参色の毛」で、此の髪の毛をもつて生れた人間は、ただ髪の毛が妙に赤いといふだけでなく、顔に斑点があり、体質も何処か畸形
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