人の少女であつたらう。恋といふ恋をし尽した女、それは彼女の移り気を語るものか、さうではなからう。愛すれば愛するほど男に離れる、さういふ運命をもつて生れた女であらう。
「わざとさうしてるわけぢやないのに、あたしが愛した男は、みんな貧乏なんですもの……」
彼女は、男が貧乏と知つて(一人の女を食はせて置くだけなら金持ちではない)その愛を他の男に遷し得る女の一人ではなかつたのである。
流行と逸楽、追従と気まぐれに日を送るドゥミイ・モンデエヌの社会は、或は彼女の夢みつつあつた社会かも知れない。然し、彼女は夙くの昔、そんな夢から覚めてゐた。彼女は「落ち着いた生活」を心から望んでゐた。彼女はただ、「巷を彷徨ふ娘」に落ちて行くことを恐れた(下には下がある)その為めに、あらゆる男の手に縋つた、さういふ女の一人であらう。
彼女は、昨日まではまだ自分の「若さ」に頼つてゐた。「どうにかなるだらう」――さういふ女の唯一の哲学を、彼女もまた私かに抱いてゐた。
恋に生きる女の矜りと恥ぢを、希望と悔恨を、習癖と道徳を、彼女も亦もつてゐるであらう。
「恋人といふものは、お互に残し合ふ思ひ出のほかに、値打はないものよ」――
彼女ははじめて、「どうにかしなければならない」ことに気づいた。
若くして貧しき男、その男との絶縁は、やがて、過去の悩ましき恋愛生活との離別である。
「なんていふ空虚だらう。あんたは、何もかも持つて行つてしまふのね」――
此の空虚は、重荷を下した後の力抜けに似たものではないか。
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物の白《せりふ》を通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。わけても、その国の社会状態を一と通り研究することが肝腎である。
今、此の「別れも愉し」について見ても、女の生活はすぐに解るとして、此の男が、果してどれくらゐの社会的地位乃至教養の程度を有つてゐる人物か、それがわからなければ、第一、作品を味はふことが出来ず、それをまた、誤つて解釈してゐる場合には、白の妙味は丸で消えてしまひ、却つて、不自然さや、破綻を、読者自ら作り出すことになるのである。
例へば、此の男を、高等教育ぐらゐ受けた青年紳士とでも思ひ違へて、一々の白を追つて行くと、誠に浅間しいオッチョコチョイに見えるばかりで、あの微笑ましい喜劇味が、作者のくだらない気取
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