oi ci」と云つてマッチの箱を出すと、煙草に火をつけ、また「Thank you」とやつたものである。なるほどかれは、シェイクスピイヤの翻訳をやつてゐる。それだけなら、なんの奇もないが、仏蘭西の文学者で外国語のできるものは甚だ稀れであり、そのことだけが、文名一世に高きアンドレ・ジイドをして、英語で「マッチをおもちですか」と云はせたのだ――といふ皮肉な解釈をして見るのも面白いではないか。尤も此の場合、いろんな理窟もつけられるにはつけられるが。
そんなわけで、私は、しばらく、ヴィユウ・コロンビエ座の隣にある同名のホテルに宿をとつた。南京虫の跋扈する安下宿で、便利だといふ以外に取柄はないが、其処のお神さんは、私を役者だと思つてゐたから可笑しい。
コポオは、朝晩、例の目の荒い碁盤縞の外套をひつかけて、此のホテルの前を通つた。私は、如何なる場合のコポオよりも、その黙々として狭い石畳の上を歩くコポオの姿を、最も鮮やかに思ひ浮べることができる。
底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「ふらんすの芝居」三笠文庫、三笠書房
1953(昭和
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