屋である。私たちは、話に夢中になつて、その日、夕食を食ひ損つたのである。その画家はアトリエの一隅で、アルコオル・ランプに火を点け、米の飯を焚き出した。茶めしを御馳走しようと云ふのだ。私は空腹を抱へて飯のできるのを待つた。やがて、醤油の煮える香ひがしだした。巴里で嗅げば、これもノスタルヂヤの種だ。
――さあ食ひ給へ。
その後は、どんなことを話したか覚えてをらぬが、それから一年もたつてからのこと、その画家は私に向つて、面白いことを云つた。
――君がはじめて僕のアトリエに来た時、壁といふ壁にあんなにかけてあつた僕の画を見て、お世辞にでもなんとか云はうとしない無頓着振りには、全く感心したよ。それより第一、絵かきのところへ来て、絵がそこにかけてあることさへ気がつかないやうなんだ。
――腹がへつてたからだらう、きつと。
――いや、飯を食つてから後でもだ。
――腹がふくれたからだよ、それや……。
……………………………………
こんな冗談にまぎらはしたものの、私は内心、画家を友にもつ資格のないことを恥ぢた。
私が最も驚異の眼を見はつたのは、ある友人に連れられて、モン・パルナスの某画塾を見に行つた時である。男女数十人の研究生が、モデル台に立つた一人の男を――丸裸の男を写生してゐた。モデルといふ職業も、人事ながら容易でないと思つたが、まだ日本なら肩揚も取れないほどの少女たちが、顔も赤らめず、「裸の男」を忠実に「頭から足の先」まで写生してゐる有様は、全く見てゐて、こつちの顔が赤くなるやうな気がした。かういふ場合に、かういふ感情を起すことが抑も「絵を描かない人間」の悲しさだらうが、それにしても、「絵を描く人間」は、そんなに、肉体といふものに対して、特別な観方、感じ方ができるのだらうか。できなければいけないのだらうか。私は少し憂鬱な、同時にまた滑稽な気持でその画塾を出た。
もう一つ不思議に思つたのは、これもある友人のアトリエで、私のふと目撃した「事件」についてである。
それまで神妙にポオズをしてゐたモデルが、休息の時間を与へられると、いきなり部屋の隅の洗面台の下から、大きなバケツを引つぱり出し、その上に跨がつた。何をするのかと思つてゐると、こつちが眼を反らす暇もなく、鼻唄かなんか口吟みながら、悠々と用を足しはじめたのである。これくらゐ、てれくさい話はない。私は友人
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