るものとすれば、それは決して、「過去の演劇」と全く没交渉なものではなく、まして、「過去の演劇」に対する反抗がその主潮となつてゐる戦闘芸術であり得ないことは勿論である。
然し、兎も角も、「新しいもの」が生れようとしてゐる。
「永遠の花」が、「新しい花瓶」に遷し盛られようとしてゐる――といふ少しアンファチックないひ方が許されないだらうか。
三十年前、自由劇場の運動から生まれた多くの劇作家中、優れた天分を有つてゐたものも少くはなかつたが、真に生命の長かるべき作品を残した作家が幾人あつたか。それとても、まだ確乎たる文学史上の地位を築き得たとはいひ難い。ポルト・リシュ、ド・キュレルの二人を除いては、そして、ロスタンといふ彗星的作家を別にしては、古来天才と称せられる偉大な作家に比して、あまりにその距りの大なるを感じないわけに行かない。
今日、所謂仏国の『先駆劇壇《テアトル、ダヴアン、ギヤルド》』を形造る幾多の有為な新進劇作家、その名を数へれば十指を屈してなほ余りがあるに違ひないが、その「力強さ」に於て、その「閃き」に於て一頭地を抜くものは、たしかにポオル・クロオデルとアンリ・ルネ・ルノルマンとであらう。
ポオル・クロオデルが戯曲作家として、舞台の征服に特殊な戦略をめぐらしてゐる間に、ルノルマンは、舞台の伝統から本質的な何者かを捉へようとしてゐる。そして、クロオデルが、加特力教的信仰を基礎とする深刻な体験を犀利な人生批評に向け、簡素にして荘重、巧まずして香り高き詩劇の文体を完成しつつある間に、ルノルマンは、科学者的興味をもつて、魂の奥に潜む未知の世界を探ることに努力した。彼が好んで選ぶところの主題は、潜在意識の問題であり、「第二の魂」の反逆である。人間性の一種神秘的な盲動である。そこから、暗夜に聞く怪獣のせゝら笑ひに似た物凄さを感じさせ、やゝもすれば、メロドラマチックな感動をさへ強ひられることがある。
ルノルマンは、その「重量」に於て、或はクロオデルに及ばないかもしれない。「裡に有つてゐるもの」の「力ある叫び」に於て、或は、クロオデルのそれと比較は出来ないかもわからない。これは、ルノルマンの開拓しようとする芸術の世界が、クロオデルのそれよりも「動き易い世界」であり、「暗い世界」であり、ある意味に於て「狭い世界」だからであると思ふ。
クロオデルは、芸術家として、何
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