レオポール三世の悲劇
岸田國士
白耳義軍が国王レオポール三世の命によつて遂に武器を投じたといふことは、今度の欧洲戦乱を通じての、恐らく最も悲痛な事件であらう。そのことの生じた裏面には、いろいろな事情が伏在するものと察せられる。われわれは今これらの真相を知ることはできないけれども、何れにしても、大国の間に介在する中立国の立場といふものを考へれば、これに単純な批判も加ふべくもない。
たゞ、前大戦に於ける白耳義軍の徹底的抗戦は、連合国側にとつて思はざる強力な防壁となつたのみならず、フランスからこれを見れば、健気なる妹の如き親愛の念を禁じることができず、戦後もなにかにつけて、ベルギーをおだてあげ、アナトオル・フランスさへ、時の国王アルベエル一世を讃へる文章を堂々と発表した。
私はたまたま当時パリに在つてその文章を読んだのであるが、平生のアナトオル・フランスとは思へぬほど、調子の張つた感激的文字を連ねたもので、まさに正義の権化、不世出の英雄としてアルベエル一世を謳歌してあつた。
ところで、二十年後の今日、同じ白耳義王のレオポール三世は、仏国首相レイノーによつて殆ど罵倒されてゐるのである。しかも、彼の領土は不本意にも再び惨憺たる戦場と化してしまつた。
中立国の名誉といふものについて、私はこれまであまり考へてみたことはない。諾威も丁抹も和蘭もおなじ中立国であり、厳正中立を標榜することゝ中立を犯すものを武力的に防がうとすることゝの間に、民族の矜持を外にして、どれだけの現実的意味があるかといふことも、私にはまだ十分納得のいかぬところがある。
それにしても、一旦英仏に援助を求めともかく連合軍の協同作戦に参与しながら、われに利あらずと見て、国軍降伏の挙に出るといふことは、味方からいくら不信の謗を受けてもしかたがない。それを忍んでもなほかつ、ヒトラーと和を結ぶことが白耳義にとつて自然、かつ有利であるかどうか、そこのところがこれからの問題であらう。
青年王レオポールの二十世紀的性格がそこにみられるとしたら、父王アルベエルは地下でなんと考へてゐるか?
パリに退避した白国政府は、王位剥奪を決議し、これを発表したと伝へられてゐる。ヒトラーは、これに対して、ブルユツセルに新政府の樹立を促進し、依然レオポール三世の国王たることを承認することも可能である。
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