Iで、人物の性格は余りに類型的である。彼は法律の欠陥、制度の不合理、道徳の矛盾、因襲の誤りを攻撃するために、一切の要件を具備した人物と、その関係と、順序正しき事件とを想像する。舞台の上には、「生命の連鎖」がない代り、「論理の脅威」に依る絶間なき感動がある。対話は極めてぎごちない文語体で、ニュアンスと韻律に乏しく、然しながら、理路整然として淀む処がない。自然主義末期の「鄙猥劇」に眉を顰めつつあつた当時の右傾批評壇が、エルヴィユウの作品に、古典劇の単素さと厳粛さとがあることを指摘したのは、あながち、その芸術的手法の点にのみ触れたのではあるまい。

 之を要するに、劇作家として彼に最も欠けてゐるところのものは「詩」と「機智」であるが、彼は、徹頭徹尾、冷やかな弁証家であると同時に、優しい道徳家であり、その冷やかさによつて人を撃ち、その優しさによつて人を動かす呼吸を誰よりも心得てゐる。そこが、此の戯曲のもつポピュラリティイである。
 名優レジャンヌ夫人の至芸は、女主人公サビイヌを不朽なものにした。このことは、正に演劇史上の奇蹟である。
 この他彼について私が知つてゐることは、彼が外交官であつたこ
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