舞台監督と作者をその部屋に訪れた。そして、あの場面を、あゝいふ風に演じることが、妻の健康を害する恐れのあることを申し立て、何とかならないものかといふ相談を持ちかけた。
作者は、脚本の一部でも変へることは罷り成らぬと息捲いた。
舞台監督は、理由が理由に成らぬとて、B君の相談に応じない。
そこに居合はせた劇場主は、世間馴れた口調で、かう附け加へた。
『俳優の細君になつた以上は、殊に、あんたのやうな役を演じる俳優の細君になつた以上はあゝいふ場面を見ても、平気でゐる覚悟が必要ですな。さもなければ、第一、その芝居を見に来ないがいゝですな』と。
事件は未解決のまゝ、次の日になつた。その日のピエロはコロンビイヌを軽く抱き止めて面はゆげに見物席を隅から隅まで見まわした。
舞台の濡れ場が、夫婦喧嘩の動機になつた例は、珍しくない。
『あんたは、丸で、ほんとにあの女を愛してるやうよ。あんな調子で、あたしに物を云つたことが、一体何時あつて……』
『それや、あの役がさうなんだもの。脚本にさうあるんだもの』
『うそおつしやい。あゝ云ふ文句は、さうかも知れないけれど、あの調子が、脚本のどこにあります』
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