入る必要はない。
小森  話が後先になつたんだ。
阿部  先に、さういへばよかつたんだ。
多田  そんなに怒るなら、帰るよ。冗談ぢやない。自分を知れ、自分を……。

[#ここから5字下げ]
多田すごすご部屋を出る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小森  さう、まあ、腹を立てるなよ。あいつも親切でいつて来たんだ。しかし、人間は感情の動物だ。あの切出し方は、たしかに不味かつた。だからさ、おれの方の話を聴け。男らしく、うんといへ。
阿部  おれたちの話は、同じ親切でも、君の感情を尊重してかゝつてゐる。悪いことはいはない。うんといへ。
彼  いやだ。

[#ここから5字下げ]
長い沈黙。
彼女は、テーブルの上を片づけ始める。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小森  君には、おれたちの真心が通じないのか。

[#ここから5字下げ]
彼女は、食器を運んで来る。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
阿部  君たち二人によろこんで貰へると思つて来たんだぜ。

[#ここから5字下げ]
彼女は彼の向ひに腰をおろし、焼きたてのビフテキを、めいめいの皿につけ、飯をスープ皿によそふ。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
彼女  ぢや、失礼して、御飯にしませう。

[#ここから5字下げ]
彼の友二人は、適当に椅子をずらす。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
彼女  こつちのナイフがよく切れるわ。いゝの、あんた二た切れたべていゝのよ。
小森  さういふとこを見てると、僕はつくづく、二人を幸福にしたい。そのために一生を捧げてもいゝやうな気がするんだ。
彼  熱情家ぶるのはよせ。
阿部  この二人を幸福にするといふことは、友達として甲斐のある仕事だ。
彼  人のいつたことを、すぐあとからいふな。
小森  こいつ、どうかしてるな、今日は……。
阿部  たしかに、どうかしてる。

[#ここから5字下げ]
彼女は、肉を頬張つたまゝ、笑ひたいのをこらへてゐる。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小森  こんな時、何を話しても無駄だ。帰らう。
阿部  また機嫌のいゝ時に出直して来よう。

[#ここから5字下げ]
二人は彼女に会釈して退場。
彼、ナイフとフオークを投げ出して不愉快さうにその後を見送る。
彼女、素早く、疳癪玉の鑵を持つて来て、彼の方に差出す。
彼はその中から、一つを取り上げ床の上へ叩きつける。爆音。また叩きつける。爆音。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
彼  あんな話をされて、君はなぜ黙つてるんだ。(また叩きつける。爆音。)
彼女  どんな話……?
彼  バアを開けなんていふ話さ。
彼女  あたし、面白いと思つて聴いてたわ。
彼  (また叩きつけ)なにが面白い!
彼女  (これも、すぐに鑵の中に手を入れ)面白いぢやないの!(叩きつける、爆音。)
彼  世間の奴らは、おれを馬鹿にしてる!(叩きつける、爆音。)
彼女  あんたのひがみよ。あたしが働いちや、どうしていけないの? こなひだうちから、さういつてるでせう。一緒に外へ出て働きませうつて……。それを、あんたが許してくれなかつたんだわ。どうしてなの? 女に稼がせちや、男の顔にかゝはるとでも思つてんの。そんな馬鹿なことつてないわ。
被  おれは、君に働いてなんぞ貰ひたくない。貧乏をするのも辛いが、君に食はして貰ふのはなほ辛い。
彼女  誰も、あんたを食べさせるつていやしないわ。めいめいが、自分で食べるだけだわ。それもいやなら、あたし、あんたに食べさせて貰つた上、自分で稼いだお金は自分で贅沢をするわ。
彼  その贅沢も、おれがさせてやるんでなけれやいやだ。
彼女  あたしも、その方が結構だわ。なによ、そんな眩しさうな顔して。そこは夕日があたるからよ。もつと、こつちをお向きなさいよ。(彼女は彼の両肩をもつて自分の方へ捻ぢ向ける)
彼  おれには友達なんぞ一人もない。あれや、みんな、君の友達だ。
彼女  おや、また、別の話になつたの?
彼  あいつらは、君にだけ親切が見せたいんだ。
彼女  (疳癪玉を渡す)はい。
彼  絶交だ。(叩きつける。爆音)
彼女  (それに応じるやうに、叩きつける)むろんよ(爆音)
彼  酔ひどれの膝に、しなだれかゝる気か、君は……。そんな、そんなことがさせられるか。(叩きつける。爆音)
彼女  あゝ、さういふ意味なの? 衣裳を作つてやるつてさういふ意味なの? そんなこと、誰がするもんか!(叩きつける。爆音)

前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング