い。(化粧テーブルの上を頤で指す)
隣の女 あら、もう一度分きりないわ。
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隣の女が、ヘチマコロンの瓶をもつて出て行くと、彼女は、炊事場にはひる。やがて、両手にナイフを持ち、「守るも攻むるも」の節に合せて、刃を砥ぎながら現れる、何か探し物をするらしく、部屋中を一と廻りするが、そのまゝ、また炊事場にはひる。ドアをノツクする音。
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彼女の声 どなた?
外の声 僕……。
彼女の声 僕ぢやわからない。
外の声 僕ですよ。わからないかなあ。
彼女の声 多田さんね。なんべん来たつておんなじよ。まだ帰つてやしないわ。
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ドアが開く。多田現れる。
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多田 奴さん、用がある時に限つてゐないんだから、始末にいけないなあ。
彼女 (現れ)ゐさうもない時に来るからわるいのよ。朝出て晩帰つて来るぐらゐのことはわかつてるでせう。
多田 不断はさうさ。だけど今先生仕事がないんだもの。
彼女 ないから探しに行くんぢやないの。
多田 (椅子に腰かけテーブルの上の新聞を取り上げ)今日は何処へ行つたの?
彼女 その、印《しるし》のつけてあるとこでせう。
多田 なるほど、これやよささうだ。志操堅固なる青年紳士を求むか。
彼女 なに笑つてるの?
多田 僕にも一つ、心当りがあるんだけれど、まあ、こつちがうまく行かなかつた時のことにしよう。
彼女 あんたの心当りつていふのは、新聞広告より、もつと当てにならないわ。
多田 こなひだのは、あれや、失敗だ。独身つていふ条件があつたのを、つい、先生にいつとくのを忘れたんだ。
彼女 嘘を吐《つ》けば、後で困るぢやないの。第一、人を使ふのに独身を条件にするなんて、間違つてるわ。
多田 家を貸すのに、子供がない夫婦つて注文を出すやうなもんでね。つまり気休めさ。
彼女 お茶、飲む? 飲まない?
多田 飲む。
彼女 冷たい紅茶よ。お砂糖いる? いらない?
多田 いるさ。
彼女 そんなもの、あつたか知ら……。
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彼女は炊事場から茶の道具をもつて出て来る。注ぐ。
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