そろ机にお向ひなさいよ。あゝして三日にあげず麻雀やブリツヂばかりしてるのが能ぢやありませんよ。大隈さんにもさう云つて少し遊びにいらつしやるのを控へていただかなくつちや……。
葉絵子  だつて、欽一さんにだけそんなことおつしやつたつて駄目よ。
母  だからさ、あの人さへ来なけれや、ほかの人達だつて遠慮をするからね。
葉絵子  どうだかわからないわ。関《せき》さんなんか、何時でも、大隈来てませんかつて、平気ではひつてらつしやるわ。
母  あんたはね、大隈さん大隈さんつていふけれど、あの方は、あんたのところへ遊びにいらつしやるんぢやないんだよ。
葉絵子  あたしのところでなけれや、誰のとこへなの? 母《かあ》さまのとこ?
母  馬鹿お云ひ。あれはね、ほんとは、お父さまとお話がしたくつていらつしやるんだよ。お父さまは近頃お忙しいもんだから、めつたにお会ひにならないけれど、学問上のことで、いろいろお訊きになりたいこともあるだらうし、お父さまのやうなその道の権威と、できるだけ接近しておかうつていふ野心もおありだらうし、それや、そんなことは、今時の若い人は、みんな考へてるんだからね。
葉絵子  あら、そいぢや、あたしが、だしに使はれてるんだつておつしやるの。
母  だしつていふこともないだらうけれど、あの方が、あんたばかりをあてにこの家へいらつしやるんだと思つたら、それは考へ違ひだつていふことを。
葉絵子  ……。
母  母さんが、なぜそんなことを云ふかつて云へば、あんたを不幸な目に遭はせたくないからだよ。娘の頃には、誰でも一度は経験することだけれど、自分の気に入つた人からは、なんでもないことをされても、それが妙にうれしい。向うはそのつもりでゐなくつても、こつちは、自分勝手に、好意を示されたつもりでゐることがある。そんな妙な顔をするのはおよし。ほんとを云へば、母さんも、大隈さんは、しつかりした方だと思つてゐる。学問もお出来になるさうだし、誰の前に出ても如才はないし、それでゐて、さういふ人にあり勝ちな気障《きざ》つぽいところもなく、淡泊で快活で、真剣味もあり、近頃の青年には珍しく古典的な教養をもつた方だと思つてゐる。
葉絵子  お家《うち》がいゝからよ。
母  うむ、お家もいゝにはいゝ。外交官の、それも大使にまでおなりになつたお父さまなんだから、万事抜け目のない教育をなすつたに違ひない。それに、お母さまも、なかなかよく出来た方だつていふから……。
葉絵子  さうよ。
母  それや、あんたも、あゝいふ方と未来のお約束ができれば、無論、申分はないさ。しかし、これは外のことゝ違つて、一方がどう思つても仕方がない。いゝえ、母さんにはわかるんですよ。あの方は、今のところ、決して、あんたをさういふ目で見てはいらつしやらない。それや、親切らしく見えることはあつても、社交に馴れた紳士つていふものは、必ず、相手に快感を与へるやうな態度を見せるもんです。殊に西洋風の教養を受けた男の人は、婦人に対して、特別な心遣ひを示すのがあたり前だ。それを礼儀と心得てさうするんです。
葉絵子  でも、あの方、あたしに、かうおつしやつたことがあつてよ。……でも、よすわ、そんなこと云つたつて、しやうがないから……。
母  そんなこと云はないで、聞かして御覧よ。なんておつしやつたの。
葉絵子  たつた一言。それを云へば、母さまの御意見は、全然、ひつくり返るわけよ。
母  へえ。どんなことだらう。
葉絵子  それは、まだ云はないつと……。
母  それも、あんたの解釈が間違つてゐたらどうします。
葉絵子  解釈つて、あの方、日本語でおつしやつたんですもの。
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     三

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葉絵子は、その晩、大隈がやつて来るのを待ちうけて、二人きりで話をする機会を作ります。少し寒い晩ですが、物干台に上つて、星の説明をして貰ひました。
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葉絵子  さうすると、幾十年目かに現はれる星は、計算すれば、ちやんとわかるんですのね。
大隈  さうなんです。星の話は、もうこれくらゐでいゝでせう。寒くつて、風邪を引くといけませんよ。
葉絵子  あたくしなら、大丈夫ですわ。去年の夏は海へばかりはひつてましたから、皮膚はそれや強くなつてますの。それよりね、欽一さん、あたくし、あなたに聴いていたゞきたいことがあるんですの。
大隈  伺ひませう。だけど、こんな、お星さまの下でなけれやいけないんですか。
葉絵子  えゝ、まあ、その方がよろしいんですの。いくらか関係もあることなんですから……。それはね、あるお友達のことで、今困つてることがありますの。あたくし、一人で考へてみてもよくわかりませんから、ぜひ、あなた
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