、一面に於て、日本人が甚だ不得意とするやうな、いはゞ、弱点がなくもないのです。そして、その面に対する敵の反攻も秘かに企てられてゐないとは保証できません。その弱点とは、すなはち、文化能力のある部分の渋滞に外ならず、これを是正促進しない限り、長期消耗戦に対する完璧の備へを誇るわけにいかぬと信じます。
こゝに於て、「力としての文化」といふひとつの見方から、新しい文化の建設が考へられるとともに、これこそ、国を挙げての努力に値する、実践運動の中心目標でなければなりませぬ。
「文化」とは、本文でも述べたとほり、すべて「文化」の名を冠して存在するものではなく、国民生活の全面に亘り、公私の行動を通じ、日本の姿、国風《くにぶり》として、何人にも無関係でないのみならず、また、何人もこれに対していくばくの責任を負ふべきものであります。
一人の青年は、なんらかの意味に於て、それぞれの立場で、日本の「文化」を身を以て示し、しかも過去及び現在のみならず、実に明日の日本の姿を、大きな夢と共に宿してゐる若々しい存在です。
昭和十六年九月、私は左のやうな一文を公にしました。これをこゝに再録して、私の青年諸君に対す
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