ついて正しい観念を作つておくといふことは、是非しなければならないことで、これは、教育家の力に俟つところが非常に大きいのであります。
 国民学校高学年の教科書には、既に「文化」といふ言葉も出て来ることですし、少くとも今日のやうに、各方面でこの言葉が濫用されてゐる時代には、教育家が最もこれに関心を払ひ、自ら「文化」の指導者たる役割を果してほしいと、私は切に希望するのです。
 しかし、また一方、この日本語としては「生《なま》な言葉」の意味を自分勝手に限定するといふことは、教育者としては躊躇されるところもありませう。専門的には、哲学者の解説にも十分学ぶべきでありませうが、私のやうに、翼賛会文化部の責任者として実際の仕事に当つてゐたものが、国民運動の全貌を通じて感得した一つの「文化観」を、さういふ立場から述べてみるといふことも、たしかに、直接には青年諸君の、更に慾を云へば教育家諸氏の、幾分の参考になりはしないかと思ふのであります。
 一国の「文化」が高いか低いかといふことを考へる習慣は今日までもありました。しかし、その「文化」が、健全であるかどうかといふことは、あまり問題にされなかつたのです。こ
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング