『力としての文化』まへがき
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生《なま》な

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
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 私は最近二年間、大政翼賛会文化部の仕事を引受け、国民組織として整備すべき文化機構に関し、また、国民運動として取りあぐべき各種文化問題について、いろいろ自分でも研究し、各方面の意見も徴したのですが、なにしろその範囲は無限に広く、一つ一つの問題が極めて深い根柢のうへに立つてゐるといふことを知るにつけ、先づどこから手をつけるべきかといふことに屡※[#二の字点、1−2−22]迷つたのであります。
 当面の要求に応じて、急速に処理すべき具体的な問題はまづ別として、最も重要なことは、国家百年の計を樹てるための基礎は、なんと云つても、「日本文化」の伝統を国民一人々々の精神のうちに蘇らせることだと信じました。
 とりわけ、次代を背負ひ、向上心に燃える青年諸君のために「文化」の意義を平明に説き、自国の「文化」について正しい観念を作つておくといふことは、是非しなければならないことで、これは、教育家の力に俟つところが非常に大きいのであります。
 国民学校高学年の教科書には、既に「文化」といふ言葉も出て来ることですし、少くとも今日のやうに、各方面でこの言葉が濫用されてゐる時代には、教育家が最もこれに関心を払ひ、自ら「文化」の指導者たる役割を果してほしいと、私は切に希望するのです。
 しかし、また一方、この日本語としては「生《なま》な言葉」の意味を自分勝手に限定するといふことは、教育者としては躊躇されるところもありませう。専門的には、哲学者の解説にも十分学ぶべきでありませうが、私のやうに、翼賛会文化部の責任者として実際の仕事に当つてゐたものが、国民運動の全貌を通じて感得した一つの「文化観」を、さういふ立場から述べてみるといふことも、たしかに、直接には青年諸君の、更に慾を云へば教育家諸氏の、幾分の参考になりはしないかと思ふのであります。
 一国の「文化」が高いか低いかといふことを考へる習慣は今日までもありました。しかし、その「文化」が、健全であるかどうかといふことは、あまり問題にされなかつたのです。こゝに、今日までの「文化」の推移、発展のすがたがあります。
「高い文化」を誇つてゐた国の、「文化の危機」がどこにあつたかといふと、その「文化」を脅やかす他の力ではなくて、寧ろ、その高いと移する「文化」自体のうちにあつたことが今や明らかになりました。即ち「高い」といふ価値標準のうちに、「健康」といふ条件がまつたく欠けてゐた事実を暴露したのであります。
 そこで、「高い文化」は不健康を伴ふといふ逆説のやうなものまで、一部の人々の間では信じられるやうになり、事実はそれほどではありませんが、その声だけは相当の力をもつて巷間に流れてゐます。尤も、西洋近代文化の一般から推して、既に彼地に於ても「文化」は進むに従つて頽廃の一路を辿るものと決めてゐる学者や思想家もあつたくらゐで、それはつまり、「文化」と「民族」、或は「国民」との一体関係に想ひ到らなかつた欧米近代思潮の偏向によるのであります。
 更に、日本の文化は、現代の表面的混乱にも拘らず、民族の輝かしい歴史と、国土の豊かな伝統とによつて、その特質は今なほ溌剌たる生気を保ち、時に応じ、国民決死の相貌となつて、強敵を粉砕する力を示すのでありますが、しかし、一面に於て、日本人が甚だ不得意とするやうな、いはゞ、弱点がなくもないのです。そして、その面に対する敵の反攻も秘かに企てられてゐないとは保証できません。その弱点とは、すなはち、文化能力のある部分の渋滞に外ならず、これを是正促進しない限り、長期消耗戦に対する完璧の備へを誇るわけにいかぬと信じます。
 こゝに於て、「力としての文化」といふひとつの見方から、新しい文化の建設が考へられるとともに、これこそ、国を挙げての努力に値する、実践運動の中心目標でなければなりませぬ。
「文化」とは、本文でも述べたとほり、すべて「文化」の名を冠して存在するものではなく、国民生活の全面に亘り、公私の行動を通じ、日本の姿、国風《くにぶり》として、何人にも無関係でないのみならず、また、何人もこれに対していくばくの責任を負ふべきものであります。
 一人の青年は、なんらかの意味に於て、それぞれの立場で、日本の「文化」を身を以て示し、しかも過去及び現在のみならず、実に明日の日本の姿を、大きな夢と共に宿してゐる若々しい存在です。
 昭和十六年九月、私は左のやうな一文を公にしました。これをこゝに再録して、私の青年諸君に対す
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