1−2−22]、模範青年の名に於て、青年らしからざる「分別」と「迎合」を臭はせてゐるあの型は、極端なものになると、もはや鼻もちならぬ程度に達してゐます。
 要するに、時代の空気を表面的に身に纏つた、一時の装ひにすぎぬ型といふものはその気になりさへすれば、誰にでもすぐにはまり得るものです。しかし、さういふ型は、また誰が見ても軽薄な一面を暴露してゐるもので、それはそれとして時代の奇怪な風俗であるばかりでなく、一方、さういふものが跋扈するために、その反動とも云ふべき皮肉と自嘲とが、どうかすると見栄の如くに対立するやうな現象もないとは云へません。
 今日、国を挙げて必勝の信念に燃え、臣民ことごとく戦場に在る覚悟をもつて一日一日を送つてゐるつもりでありますけれども、前線の消息遥かにして、敵はまだ遠いといふやうな印象が、やゝもすれば、われわれの心に瞬間の緩みを生じ、もはや「勝つにきまつてゐる」と高を括るか、或は、「戦さに勝ちさへすればいゝ」と、それはその通りにしても、それから先のことをつい考へようとしない、いはゞ安易な空気が何処かに頭を擡げて来たやうな気がします。
 国民士気の昂揚、生産力の拡充、人口の増強、貯蓄の奨励といふ風な、いはゆる重点的な運動の掛け声は、その根柢を貫く日本文化の問題を、常に表面には浮び出させない結果、国民の錬成を目的とする各種の行事を通じても、日本人の資質を綜合的に高め、その能力を指導民族の矜りとして権威づける配慮があまり払はれてゐないやうに思はれます。
 私が、みづから足らざるところ多きを恥ぢながら、敢て、かくの如き一書を「若き人々」に捧げようとする意図は、決して、今日の青年に慊らぬといふやうな不遜から出たものではありませぬ。寧ろ、われわれの世代が成すべくして果し得なかつた幾多の事業を通じ、是非これだけは次代の手によつて達成されなければならぬと思はれる一事、すなはち、明日の日本人の形成を目指して、先づ、新しい青年の典型を創造する基本となるべき精神を、主として自己を省ることによつて、なるべく率直に述べようと試みたものであります。
 固より、かゝる試みは多くの人々によつてなされなければなりません。私の未熟なしかも匆卒の間になされた考察が、せめてその機運を少しでも早めることになれば幸ひであるばかりでなく、男女青年諸君の、身自らをもつてする錬磨と反省とに役立ち、更に望むらくは「立志」の一つの拠りどころとなるを得たならば著者の悦びこれに過ぐるものはありません。
  昭和十八年二月十一日
[#地から3字上げ]著者



底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
※底本では省略されていた「青年へ」を補い、2字下げで組み入れました。
※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを組み入れました。
「青年へ」(入力:tatsuki、校正:門田裕志)
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年4月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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