』『熊谷蓮生坊』『女中の病気』みな然りである。勿論、内面的には「或る心理的の動き」があるけれども、これは小説にでもざらにある「心理の動き」である。作者は、つまり、外面的の「劇《ドラマ》」から内面的の「劇」へ足を踏み込んだと云へる。
そこで、この内面的の「劇《ドラマ》」であるが、前にも述べた通り、『海彦山彦』『女中の病気』程度の「劇《ドラマ》」なら、特に之を「劇的境遇」と呼ぶ必要はあるまい。然るに、僕は、『海彦山彦』を以て作者の傑作と思惟するものである。『女中の病気』は恐らく之に次ぐものであらう。勿論『同志の人々』、『指蔓縁起』それぞれに面白くはあるが、作者の「最も佳きもの」は、前に挙げた二作のうちに、最も多く、最も明かに之を見出すことが出来ると信じてゐる。
こゝで僕は、此の事実を、僕のやゝ独断的な戯曲論に結びつける。
所謂「劇的《ドラマチツク》」といふ言葉は、芸術としての戯曲を評価する場合に何等の標準を示すものではない。芸術として傑れた戯曲は、主題として所謂「劇的境遇」が選ばれる必要は少しもなく、それ以外に、もつと本質的な「劇的美」がある筈である。これは恐らく戯曲の近代的進化が、
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