は、気体の揺曳から一歩進んで、流動する生活実体の中に生命の重量を感じさせるまでになつて来た。
小山君の作家としてのエヴォリュションは、まあざつとこんな風に云へるとして、戯曲『十二月』が、既に多少の欠陥を除いて、優に今日の劇作界に誇示し得る作品となつて生れたことも、亦当然であらう。
前に述べたやうに、この一篇を通じて、最も光つてゐるのは、作者の観察が巧みに生かされてゐることだ。人物の心理はそのために、自然の陰翳を保つて交錯し、生活のトオンは、世紀末的憂鬱に終始しながら、屡々微笑ましき諷刺の瞬間をのぞかせてゐる。ただ、慾を云へば、描かれた世界の裏に、もう少しの拡がりがあつたらといふことだ。九城一家の生活が、なんとなく人生のバックといふやうなものから遊離し、孤立してゐるといふことは、作者の眼が、まだ個々の生活を透して、より深い人間性に徹しないところから来るのだと思ふ。そこは、なんとしても過剰な装飾的リリシズムを更に切り捨てて、これに代るべきものを求める詩魂の飛躍に俟つより外はないであらう。(一九三三・五)
底本:「岸田國士全集22」岩波書店
1990(平成2)年10月8日発行
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