く解釈してゐるかどうかを考へて見よう。
○僕は、大体に於て、その解釈の近いことを欣ぶものである。各人物の性格表現に、どうかすると「はてな」と思はれる節もあるが、それは、「技芸」殊に「柄」の問題を除外して論じることは不当のやうに思はれる。ラアネフスカヤ、ガアエフ、ロパアヒンについて、前に述べたことは、直接、此の点に触れたつもりである。
○当夜、かういふ考へが、一寸、僕の頭をかすめた。チェホフの『桜の園』と云ふ戯曲は、もうちやんと僕の頭の中で舞台が出来上つてゐる。殆ど理想的な舞台が出来上つてゐる。で、今眼の前で、誰かゞ、『桜の園』を演じてゐるといふ一つの想念、或は、たゞ、あの椅子に腰をかけてゐるのがラアネフスカヤで、今、何かしやべつてゐるのがガアエフだといふ、たゞそれだけの事実が、僕の心の中に常々ひそんでゐる『桜の園』の幻影を再び浮び出させるのではあるまいかと。
○たとへ、さうであつても、その幻影は、実際、眼に映じ耳に響く不快な影と響とで容赦なくぶち毀さるべき性質のものである。
○それが、さうでなく、その幻影を、そのまゝ活かすとまでは行かないでも、決して、台なしにしてくれなかつたこ
前へ
次へ
全8ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング