ればならぬ。言ひ換へれば、ハイカラな日本趣味、粋な西洋趣味が同時に存在するのである。もう一歩進めていへば、ハイカラな西洋趣味と粋な西洋趣味とは違ふのである。ハイカラなある西洋人が好んで東洋風の趣味を漁るなどといへば、一寸をかしいが、さういふこともいへないことはない。
ハイカラな家庭といへば、必ずしも、夫婦が一緒に手をつないで散歩し、子供に、「パパ」「ママ」と呼ばせ、……などする家庭のことをいふのではなからう。
ハイカラな文章といへば、必ずしも片仮名の英語が交り、何々するところのそれは……といふやうな翻訳臭があり、などする文体を指してはゐまい。
「ハイカラ」とは、気がきいてをり、あかぬけがしてをり、軽快であるばかりではない。それは常にもつとも「理知的な眼」を意味する。そこでは、常に、「溌剌たる才気」がもつとも「約《つゝ》ましい姿」を見せてゐる。
「ハイカラ」とは、また、自由な均整であり、聡明な型破りであり、節度あるフアンテジイであり、要するに、一つのもつとも洗煉された反逆的精神である。「ハイカラ」が模倣と流行を敵とする所以はここにある。
「粋」が陰性なるに付し、「ハイカラ」はあくまで
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