『ハイカラ』といふこと
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)気障《きざ》な
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(例)どんより[#「どんより」に傍点]
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近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。
「あの男はハイカラだ」といへば、その男がどういふ風な男であるかは問題ではなく、寧ろ、さういふことをいふ人間が、どんな人間であるかを知りたいほどの時代になつてゐるのかもしれない。
一体、この「ハイカラ」といふ言葉は、だれがどういふ機会に作りだし、いつ頃世間でもつとも流行したのであるか、私は記憶しないのであるが、なんでもその当時、洋服に「高いカラアをつけてゐる男」は、一般に「低いカラアをつけてゐる男」よりも、「ハイカラ」であつたに違ひない。これは、西洋でもさうなのであるか、私の観察するところでは、必ずしもさうだとは思へないが、洋服を着ることだけでもまだ珍しかつた時代の日本では、たしかに「高いカラア」をつけることが、いはゆる「ハイカラ」であつたに違ひない。
そこで、その「ハイカラ」は、「高いカラア」をつけることばかりを意味しないのはもちろんであつて、好んで「高いカラア」をつけるやうな男は、好んで派手なネクタイを結び、好んで素透しの眼鏡をかけ、好んでまた、先のとがつた靴を穿いたに違ひない。かくの如き男はまた、好んで英語を操り、好んで淑女たちの御機嫌をとつたに違ひない。
ここに於いて、「ハイカラ」なる言葉は、単に服装の上ばかりでなく、その態度の上に、その趣味の上に、そのテンペラメントの上に加へられる言葉となり、しかも、幾分、軽蔑、揶揄の意味を含む言葉とさへなつたやうである。なんとなれば、この「ハイカラ」なる言葉は、少くとも、自ら「ハイカラ」をもつて任ずる人間が口にする言葉ではないからである。
また、この言葉は、単に男性のみに限らず、一方、女性の上にも加へられる言葉となつた。「ハイカラな女」は、ただ、その頭髪を、いはゆる「ハイカラ」に結ふばかりでなく、これまた眼鏡をかけ、時計を持ち、オペラバツグを提げ……などするを常とした。殊に男性の前では、黙つてうつむいてばかりゐることなく、一寸首をかしげて、「まあ、素敵!」といふやうなことをいつて見なければならなかつた。彼女らはまた、男ばかりが散歩に行くことを不平に思ひ、女ばかりが子供を生むことを少し残念がりはしなかつたか。
かう云つてくると、「ハイカラ」なる言葉は、思想に触れてくる。そして、生活そのものに触れて来る。
さて、上に述べたやうな意味に解すると、「ハイカラ」といふ言葉は、「西洋風を真似ることによつて、しやれ、かつ気取る」意味であり、いはゆる「当世風」とか、「現代式」とかいふ言葉と、一脈相通ずる意味さへ含むことになるが、私はこの「ハイカラ」といふ言葉を必ずしも「気障《きざ》な当世風」、乃至「軽薄な西洋かぶれ」とのみ解しないで、かの「粋」といふ言葉の如く、今日、われわれの生活、われわれの趣味、われわれの文学中に見る一つの「美」の要素として考へて見たいのである。
実際、今日、われわれは、よき意味に於ける「ハイカラな男女」「ハイカラな生活」を知つてゐる。われわれはまた、よき意味に於ける「ハイカラな趣味」を感じ、「ハイカラな文学」を見てゐる。この場合「ハイカラ」とは、そもそも、何を指すのであるか。私はそれが必ずしも「西洋風」に関係があるとは思はない。なぜなら、西洋にだつて、「ハイカラな西洋人」がゐる。ましてそれがいはゆる「当世風」であることも必要ではないと思ふ。なぜなら、昔、日本がまだ西洋と交通をしない前に、今日から見て「ハイカラ」な男や女がゐた。
近頃は、「当世風」といふ言葉の代りに「新時代」、「現代式」の代りに「近代的」とか「モダアン」とかいふ言葉が使はれてゐるが、これも「ハイカラ」といふ言葉を定義するには役立たないと思ふ。なぜなら、「新しい」といふことは、「ハイカラ」の主要な点ではないのである。なぜなら、あるコンミユニストよりハイカラなインペリアリストがゐるから。また、その辺のいはゆる「モダアン・ボオイ」や「モダアン・ガアル」たちよりハイカラな、一見「普通」の青年男女がまだいくらもゐるから。私はここでこの言葉の言語学的穿鑿を企ててゐるのではない。いろいろに使はれてゐる意味をいちいち列挙する暇はないが、少くとも、「ハイカラ」といふ言葉に、気障の意を含めて、すぐに反感を抱く連中を除いては、私の今云はうとすることはわかつてもらへるだらうと思ふ。便宜上、「蛮カラ」といふ言葉をもつて来よう。この言葉は、たしかに、「ハイカラ」の正反対を指すものである。よい意味にも、
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