紀末葉においてフランスの劇壇は、かの自由劇場式自然主義劇の跋扈と北欧風個人主義劇の侵入によつて『民衆を楽ませる劇』の極度な不振を招いた。舞台は卑わい[#「わい」に傍点]な姦通劇と陰惨な苦悶劇によつて占められてゐた。
『シラノ』は、フランス国民が、あらゆる時代に示した特質を帽子の羽根飾《ペテシユ》として、華やかに、彼等の前に登場したのである。そしてこの人物は、一個の英雄には相違ないが、不幸な容貌の持主である。『岬の如き鼻』は、わらふにもわらへない民衆的弱点である。フランス国民は、そこに己れの姿を見なかつたであらうか。
その上、『シラノ』の性格には、幾多の矛盾があり、その言行はいはゆる道学者的標準によつてお手本化されてゐないところ、一層フランス人の気に入つたのである。こゝで日本の観客のために注意しておきたいことは、かくも欧米の観客をよろこばせた『シラノ』なる人物に、どこか『好み』の上で、日本の民衆を反ぱつさせるものがありはせぬかといふことである。殊にそれが英雄として示される場合、偶像的地位を占めてゐる場合、その英雄振り、偶像振りには、甚だ東洋的ならざるところがあり、殊に、作者が意識的に附
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