じてゐる。ある人間は、この現実さへも、信じられずにゐる。眼に映じ、耳に響き、肌に触れ、心に感ずる様々な事物が、かく映じ、かく響き、かく触れ、かく感ずることを既に疑つてゐる人間があるかも知れない。わからないか。君は或る「苦しみ」を「苦しみ」として享《う》け容《い》れてゐるね。一部の人間は、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れることが正しいかどうかを疑つてゐるんだ。君達が「楽しい」と云つてゐることを「楽しい」と云はなければならない理屈はないと思つてゐるのだ。自分が「苦しい」と思ふとき、「楽しい」と思ふ時、「おやおや、おれはほんとに苦しんでゐるのか知ら、ほんとうに楽しんでゐるのか知ら」さう自分自身に訊ねて見る人間がないとも限らないではないか。
乙――さういふ人間は病人だ。
甲――さういふ人間から見れば、君達が病人だと云ふかも知れない。
乙――よし、それなら、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れないなら、一体、そいつらはどうするんだ。誤魔化すんだらう。
甲――よし、それなら、君達は、その「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れ、その「苦しみ」を「苦しむ」ことによつて、どんな「歓《よろこ》び」を感じてゐるのだ。
乙――おれの問に先づ答へろ。「苦しみ」を「苦しみ」として享け容れないなら、一体、そいつらはどうするんだ。誤魔化すんだらう。
甲――君は、余計なことを知りたがるね。そこまでは、まだ文学ぢやないよ。今は、文学の話をしてゐるのだ。いゝか。世の中には、さういふ人間もあると云つたゞけだ。明るい文学が、必ずしもさういふ人間の手から生れるとは限つてゐない。また、さういふ人間が、必ずしも、明るい文学に向ふとも限つてはゐない。おれはたゞ、明るい文学であれば、どういふ文学でもかまはないと云つてゐるのではない。例へば「人生は楽しいものだ」と云つて浮かれ歩く手合に、それほど同感はしてゐない。「人生を楽しいものにしよう」と、徒らに人生の「楽しさ」を誇張し、「苦しみ」を覆ひ匿す仲間にもはいりたくない。まして、人生、「苦しみ」の中にこそ「楽しさ」があるなどゝ好い加減な当て推量をしてお茶を濁すことはできない。
乙――お前のいふやうな「人生の観方」から明るい文学が生れる筈はない。
甲――「明るさ」は「楽しさ」の中にのみあるのではない。さういふ「明るさ」なら別に欲しくない。
乙――「苦しみ」の中にも
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